薗田碩哉の遊び半分

遊びをせんとや生まれけん

遊びをせんとや生まれけん
  戯(たわぶ)れせんとやむ(生)まれけん
   遊ぶ子供の声聞けば
    わが身さへこそ動(ゆる)がるれ

 平安時代末期に、宮廷の主として平清盛はじめ平家一族、そして源頼朝・義経と渡り合った後白河天皇は、頼朝をして「日本一の大天狗」と言わしめたやり手の政治家だったが、夜な夜な当時のホステスとも言える「白拍子」たちを集めて歌や踊りの饗宴に現を抜かす、遊び大好きの天皇さんであった。その後白河帝が自ら編纂した歌謡集『梁塵秘抄』に載っている「今様」の1つがこの歌である。「今様」とは「現代風」ということで、つまりは当時の流行歌集なのである。

 歌の意味は分かりやすい。―遊びをしようとして生まれてきたのでしょうか/ふざけっこをしようと生まれてきたのでしょうか/遊んでいる子供たちの声を聞いていると/大人の私たちまで感動してしまいます―ということかと思う。「動(ゆる)ぐ」というのは物が揺れる、ゆらゆらするということだが、「心が動揺する」という意味もある(『岩波古語辞典』)。現代風に言えば、感動するのであり、砕けて表現すれば「ジーンときちゃう」ということだろう。

階段を登る足

 実際子どもたちはまことに生き生きと遊ぶ。遊びこそがわが天性とばかりに、遊んで戯れて飽きることがない。かつては薗田浩美園長とともに「さんさん幼児園」を営んで、1階が幼児園でその2階が住まいだったのだから、毎日、子どもたちの底抜けに明るいはしゃぎ声のシャワーを浴びていた。その頃は子どもたちと一緒に遊んで活動し、ほめたりなだめたり叱ったりもし、時には本気で子どもとケンカもしたのだから、のんびり眺めて感動してはいられなかった。しかし、幼児園が閉ざされ、その後のさんさんくらぶの活動で、子どもたちと触れ合うのは時たまのことになると、この歌がだんだん身近になってきた。後期高齢者の今、公園で遊びまわる子どもたちをしみじみ見て、何かほのぼのとした気持ちになることも多くなった。年のせいと言えばそれまでだが。

 この歌は子どもに優しい眼差しを注いでいる。純粋無垢な子どもたちの姿を見て、大人になって浮世の垢にまみれ、心身ともに薄汚くなりかけているわが身を顧みて、心を動揺させている白拍子の女たちの感慨がこの歌の底流にあるように思われる。いずれにしても、少なくとも800年以上前、多分それよりもっともっと昔の時代から、われわれ日本人は「子どもの遊び」を良きもの、美しきものと感じる感性を持っていた。この歌から400年ばかり後に、ヨーロッパからやってきたキリスト教の宣教師たちは、日本人の生活と文化を子細に観察し、本国に報告書を送っている。その中の一つに、ヨーロッパでは子どもを鞭で叩いて調教するが、日本人は言葉で叱責するだけだ。また、ヨーロッパの子どもは人前ではにかむが、日本の子どもは恥ずかしがらず、のびのびしていて愛嬌があり、演ずるところは実に堂々としていると誉めている(ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』)。さらに300年後の開国後に日本にやってきた欧米人たちは、日本の親たちが子どもを膝にのせて可愛がって大事に育て、その子どもたちはみな明るくて礼儀正しいと感嘆している。幕末に日本を訪れた欧米人の証言を集めた渡辺京二『逝きし世の面影』の第10章は「子どもの楽園」と題され、愛される子供たちの幸福な姿が存分に紹介されている。子どもへの優しさ、それは当然、子どもの遊びに対する寛大な姿勢を含んでいるわけだが、長く続いてきたわが民族の子ども愛・遊び愛の伝統が、ここにきていささか揺るぐ気配を見せているのが気がかりである。

 ところで「遊びをせんとや…」の歌は実際どんな節回しで歌われたのだろうか。歌詞は見ての通り75調4句でできている。当時、公式の和歌と言えば言わずと知れた57577の百人一首の歌である。ところが今様は75757575で完結するのがほとんどだから、現在の定型詩とおんなじである。庶民は千年経っても75調を手放さない。童謡の「もしもしカメよ」にしても「浦島太郎」にしても「どんぐりころころ」にしても75調4句なので、「遊びをせんとや…」をそのまま歌うことができる。歌ってみると調子が良くて楽しいが、どうにも軽い感じだ。もう少し深みのあるメロディはないものか。

 歌詞の記録は残ったが、歌い方の方は、記録らしきものはあるのだが解読できていない。それでも伝承によると、今様に近いメロディは「越天楽」だという。そしてそれに近い現在の曲としては「黒田節」があげられるという。「酒は飲め飲め飲むならば、日の本一のこの槍を…」という、宴席でよく歌われる民謡だ。この曲で歌ってみると、確かに歌詞も雰囲気もとてもよく合う感じである。というわけで、お酒を飲んで興に乗ると「遊びをせんとや黒田節」をむしょうに歌いたくなるのである。

2021年7月3日 薗田 碩哉

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