薗田碩哉の遊び半分

日本と西欧—「遊び」のイメージ比較

遊ぶという行為は人間ならば人種や国籍を問わず、普遍的な行動のはずである。遊ばない人、遊ばない文化というのはまず存在しない。そのことに対応して、どの国の言葉にも「遊び」を意味する語がある。英語ならPLAYであることはどなたもご存じだ。しかし、遊びとPLAYの意味は完全に重なっているのか、それとも多少のずれがあるのか、遊び半分に探って見ることにしよう。

まずは手元の辞書でPLAYの意味を引いてみると、次のような多様な内容が記述されている。

1)遊び、たわむれ
2)慰み、冗談 fun joke
3)劇 drama
4)競技、試合 game
5)(他人に対する)態度、行為 fair play
6)ばくち、賭け事 gamble
7)(光などの)動き、ひらめき、ちらつき
8)(自由な)活動、働き、作用 activity
9)休み、休業

英語のplayもなかなか広い範囲をカバーしているのだ。playerと言えば、スポーツ選手、演奏家、俳優のいずれにも適用できる。ついでに言うとスポーツのプレイヤーを日本語で「選手=選ばれたもの」と訳したのはいただけない。エリート意識丸出しだ。素直に「遊び手」でいいではないか。スポーツは間違いなく遊びなんだから。

もう一つ不思議なのは、野球をするのはto play baseballだが、ピアノを演奏するときはto play the pianoで定冠詞theを付けなければならない。どうしてそうなのか、英語学に詳しい人の説明を聴きたいものだ。シロウト考えでは、野球やサッカーはモノではなくて行動の集まりであるので冠詞なし、対してピアノやヴァイオリンは数えることのできるモノを使うのだから冠詞付きということかもしれない。

熟語をみるとplay away使い果たす、 play down軽視する、 play fast and looseでたらめに行動する、play for time時を稼ぐ、play high 大ばくちを打つ、などがあってplayという語の軽やかさというか、いい加減さみたいな雰囲気が感じられる。

ドイツ語ではどうだろう。ドイツ語で遊びはSpiel(シュピール)だが、主要な意味は―

1)遊戯、競技
2)賭博
3)演劇、脚本
4)演奏
5)動き、運動

フランス語も見てみよう。フランス語で遊びはjeu(ジュ)だが、その内容は―

1)遊び、戯れ、遊戯
2)競技、ゲーム、勝負事
3)賭博
4)競技場、グランド、コート
5)将棋のコマ、トランプの一組の札
6)競技ぶり、腕前
7)活動、動き *ゆとり、機械の遊び

英独仏語を並べてみるとカバーする意味領域はたがいによく似ている。現実を離れて気軽にゲームや賭けのような好きなことをして楽しむというのが核心になっている。英独語では「演劇」という意味があるのに、フランス語には見当たらないが、jue(遊び)の動詞形 jouerには「役を演ずる」という意味が記されている。フランス語の遊びも演劇を含んでいるのだが、演劇そのものを表すときにはもっぱらdrameという語を使うようだ。

遊ぶ子供たち

これに対してわが方はどうか。代表的な辞書である『広辞苑』の「遊び」の項目は以下の通りだ。

①あそぶこと。なぐさみ。遊戯。源氏物語桐壺「御心につくべき御―をし」。
②猟や音楽のなぐさみ。竹取物語「御―などもなかりけり」
③遊興。特に、酒色や賭博をいう。「―好き」「―人」
④あそびめ。うかれめ。遊女。源氏物語澪標「―どものつどひ参れるも」
⑤仕事や勉強の合い間。「―時間」
⑥(文学・芸術の理念として)人生から遊離した美の世界を求めること。
⑦気持のゆとり、余裕。「名人の芸には―がある」
⑧〔機〕機械の部分と部分とが密着せず、その間にある程度動きうる余裕のあること。「ハンドルの―」

欧米語の遊びのイメージと日本語のそれとは、おおむね重なるとはいうものの、違いもかなりある。欧米語にはゲームやスポーツのような活動的な雰囲気が強くあるが、日本は管弦の遊びとか酒色の遊びのような享楽的な要素が多いように見える。特に「あそび」が遊女そのものを意味しているというのは欧米語の発想とはだいぶ異なる。英語の「遊び手player」はスポーツを連想させるが、わが方の「遊び人」は遊興に入れあげる人という感じだ。また、日本語の「遊び」には「演劇」という要素が見られない。能狂言から歌舞伎まで、日本の演劇もヨーロッパに劣らぬ歴史と伝統を持っているが、それを「遊び」という用語で表現しては来なかった。

「遊び」は古代から使われている古い言葉なので、『岩波古語辞典』に依って意味の古層を調べて見よう。同辞典では遊びを①類と②類の2つに分けている。①類は幅が広く、以下の6種がある。説明付きで紹介すると―

1)神遊び、神楽…遊びの原点は神さまとともに遊ぶ神事にある。
2)管弦の演奏…平安貴族が琴や笛を奏でて楽しんでいる。
3)宴会…わが民族は昔から宴会大好き人間なんですね。
4)狩猟…現在はこの意味は廃れてしまった。古代人の方がスポーツ的な遊びを楽しんでいたのだろう。
5)漫然とする楽しみごと…子どもの遊びから暇つぶしまで、これは今も同じだ。
6)遊興…これは男女の間の遊びであり、②類につながる。

古代日本の遊びは神遊びから遊興までたいへん幅が広い。西欧諸語の遊びのイメージにも通底する「ホモ・ルーデンス」の遊びが実現していたとみることができるだろう。

古語辞典の②類はずばり「遊びを行うための女性」のことを言う。漢字で書くと「遊行女婦」という文字が当てられ、この4文字を「あそび」と読んでいる。「あそび」は集団で移動するものもあり、平安期の「白拍子」などもこれの系統を引くとある。江戸期になれば吉原(江戸)、島原(京都)はもとより、主要な都市や街道の宿場には大勢の「あそび女」がいて酒と唄と性の楽しみを客と共にした。この辺りはキリスト教道徳に縛られてこうした遊興(決してなかったわけではないのに)を罪悪視して抑圧した西欧社会とは異なり、いかにもあっけらかんと「大人の遊び」を楽しんでいたのである。

明治以降に西欧風の価値観が導入され、西欧のプロテスタンティズムに由来する遊びの否定が教育の場に浸透していく。遊びの遊興的側面が厳しく批判され、そのあおりを受けて遊びの自由さや活動性も否定されてしまう。「遊んでばかりいないで仕事をしろ、勉強しなさい」という言説がまかり通る。

時代はいま、大きな曲がり角に差しかかっている。これまでのような生産万能、経済至上、お金がすべてというライフスタイルは根本的な見直しが必要だ。その転換を進めるうえで「遊び」は重要なキーワードになってきた。それも日本古代のおおらかな遊びに還ることが求められていると思う。

2022年7月15日 薗田 碩哉

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