薗田碩哉の遊び半分

「遊ばんかな」の掛け軸

わが「さんさんくらぶ」の本拠地である小野路の「さんさん亭」の床の間には1つの掛け軸がかかっている。文字は「遊乎天地之一気」で「遊ばんかな天地の一気に」と読んでいる。『荘子』の「逍遥遊(心まかせの遊び)」編にある一句で、筆者の座右の銘である。

「遊ばんかな」の掛け軸

さんさん亭は、もともと「さんさん幼児園」だった建物である。一階は鉄筋の枠組みの大きな箱型の建築物で、これが幼児園。その箱の上に全く雰囲気の異なる純日本風の家屋が載っていて、かつてはここが園長一家の住まいであった。その客間の床の間に荘子の軸を掛けたのである。この建物を手に入れた時、書道を趣味にしていた私の父がその師に頼んで揮毫してもらった書を表装して贈ってくれた。文言はもちろん私が父に伝えて書いてもらった。

「天地の一気に遊ぶ」―天も地も、この世界を一つの気が支配している、その気に交わって壮大な遊びの心を養う…筆者の勝手な解釈だが「遊び」をキーワードに生きるものとしては、この一句をよりどころに、気宇壮大な遊びを遊んで生きたいと願ってきた。この軸の前に端座して遊び気分にあふれた書体を見つめていると、心の底から力が湧いてくるような気がするのだ。

幼児園の時代、この客間では特別の行事が行われてきた。それは誕生月の子どもたちを集めたお茶会である。毎月一度、その月に誕生日を迎える子どもたちのお誕生会を開いてきたが、園でのセレモニーが終わると、その子たちだけが2階に上がって客間に通される。そこには園長先生が控えていて、お菓子と抹茶の用意をしてみんなを待っている。子どもたちは畳に座って(正座のできない子が多いが)一人一人大きな抹茶茶碗を抱えて緑色鮮やかな抹茶を「にが~い」などと言いながらいただくのである。抹茶は苦いが甘いお菓子が食べられるから誰も文句は言わない。わいわいと賑やかなお茶会がひとしきり続くのが慣例だった。

幼児園が終わってからは、くらぶのさまざまな会合や遠来の客を迎えての懇談がこの部屋で行われてきたものだ。小野路と周辺に住むお仲間の高齢者が集まる「おの爺(じい)の会」から、俳人を称する友人たちとの句会、元園長のお友達が集まるいつ果てるともないおしゃべりの会まで集まる人は多種多様である。最近では幼児園のかつての保育スタッフがそれぞれ子どもたちを引き連れてやってくるというたいへん賑やかな会合もあった。そんな時、この掛け軸の文字はどういう意味ですかと尋ねられるたびに、待っていましたとばかり筆者は荘子の「大らかな遊び」のイメージを語ってやまなかった。遊びのエネルギーこそが私たちに生きる力を与え、人と人とを愉快に交わらせ、天地自然の中にある人間のあるべき姿を示してくれる、と。客人たちはこの「遊天地一気」の文字を眺めてフムフムと感心してくれたように思う。荘子の雄渾なメッセージから誰もが何か価値あるものを見つけ出してくれたのではないか。

2023年4月14日、筆者は満80歳の誕生日を迎えた。言うところの傘寿である。昔ならここまで来れば長命とされたわけだが、今日、80歳では男性の平均寿命にも届かず、一つの節目に過ぎない。それでも山もあれば谷もあったこの年月を振り返れば、それなりの感慨はある。そしてまだまだその先を生き抜こうという意欲も失われてはいない。わが命の続く限りは「遊び」というささやかにして遠大な、軽薄にして深遠な、また、子どもから人生の終焉期にある老人にまで万人平等の富である「遊び」と深く交わって生きていきたいと願っている。

2023年4月14日 薗田 碩哉

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