薗田碩哉の遊び半分

集中治療室体験から詩ができた

 7月半ば、わが身にとんでもないことが起きた。救急車に乗って大学病院に担ぎ込まれたのである。中年のころから原因は不明だが、重症筋無力症という難病に取り付かれていた。神経の命令が筋肉に届くところで、自分自身が抗体を作って命令物質(アセチルコリン)の邪魔をするという、免疫異常の変な病気である。筋肉そのものは健全なのだが、命令が来なくて動かなくなり、まぶたが落ちてきたり呑み込みが悪くなったり、全体に疲れやすくなり、果ては呼吸器が動きにくくなって命に係わる深刻な病気である。とはいえ、これまでは症状が出ても瞼落ちぐらいで、それも永らく発症しなかったので、薬もいい加減になっていた。

 コロナ・ワクチンの2回目が済んだあたりから、首が落ちてきて歩くのが難儀になった。夜には発熱、息が苦しくなってゼイゼイし始めた。これは危ないと相模原の発熱外来に出向いてPCR検査をし、陰性が確認できたと思ったら、直ちに町の南にある北里大学病院に緊急搬送、集中治療室へ直行である。そこで酸素の供給機をセットされ、身体に6本の管が入って生命維持装置にハリツケとなる5日間を過ごした。

病室

 声も出せない、動くこともできない、まことに地獄の日々である…と書いて読者の同情を買いたいところだが、実は必ずしも地獄ではないのである。声は出ないが呼吸は楽になり、栄養は管から入って管から排泄されるので手間はかからないし、ウトウトしていると実にいろいろな妄想や幻覚が現れて、これが結構、面白い。天井を見上げると白いはずの壁にいろいろな映像が現れる。はじめは本当にベッドの上の天井がテレビ画面になっているのかと思ったくらいだ。周囲にある無機質の医療機器が突然クネクネ動き出して植物のように変身したりして見ていて飽きない。眼を閉じると、今度はフルカラーの風景の中をゴンドラに乗って音もなく動いていく自分がいる。人の姿は見えず、音のない静寂の世界だが、とても気持ちがいい。後で考えてみると臨死体験というのはこういうものなのかもしれないと思った。

 幻想は次第に静まって行ったが、今度は頭の中が妙に冴えわたり、さまざまなことが想念に浮かんできた。来し方行く末を思ったり、あれこれの人を思い出したり、そのうちいま取り組んでいる課題についてさまざまなアイデアも浮かんできた。肉体が不自由な分、脳みそはかえって解放されて、勝手に動いているらしい。脳みそは筋肉ではないから、無力に陥ることはない道理だ。すてきなアイデアを忘れてはもったいないので、紙とペンをもらって、わずかに動かせる手先で必死にメモを取った。あとで読み直してみると、これがなかなかいいことが書いてあるのである。

 一般病棟に移って落ち着いてから、書き溜めたメモを解読してノートにあれこれ写し取ったが、そのうちに久しぶりに詩を書いてみたくなった。若いころはいっぱしの文学青年だったから、詩もよく書いた。立原道造のソネット(14行詩)が大好きで、覚えて暗唱もした。中年になってあんまり詩を書くこともなくなったが、それでも思い出したように書くことがあった。今回、本を読むか何か書きものをするしかない病室で、集中治療室でのさまざまなイメージを思い出して作ったのが以下のソネットである。幻想もあれば追憶もあり、いつも訪ねる里山の情景が浮かび上がってきて作ったのもある。集中治療室が後押ししてくれた病院詩集である。

ICU(集中治療室)にて

私の身体くん こんにちは
今回は参ったぜ 自分が自分で余計な抗体を作って
神経の命令を妨げるんだからな
エライ反抗的じゃないか 私の人格の比喩なのか

呼吸器を喉に装着されて声も出ない
口と鼻には導管 両腕に点滴 耳の横にはカテーテル
尿道にもしっかりと管が差し込まれ
両手をベッドに縛られてイエス様のハリツケだ

わが身は器械と一体化した生きる物体
ポンプで供給される酸素が生命線
私を生かしているのは器械の意志か  だが待てよ

自由じゃないか 自由だ わが意識は全く自由だ
森の泉から湧くみたいに自由な想念が浮かび上がる
考えよう 考える自由こそ命の源だ

幻視の床

ベッドに向かい合う真っ白いはずの壁に
現れたのは黒いシミ ― それは広がって
蜘蛛の巣のように伸びて縮んで増殖し
やがて壁という壁にはシミのネットワーク

病の床を覆い包む闇と静寂の底で
誰かが顔を寄せてくる 沈黙のままに
誰なんだ 目を開くとそこには誰もいない
再び目を閉じると いたいた また現れた

私の心というのがいかにたわいないものか
明晰さも周到さと見えたものもしょせんは幻想
揺れ動く思考のあぶくに過ぎないのか

確かなものはどこへ行った…
リンゴのように落ち着いてミカンのように柔軟で
栗の実のように毅然としていたはずの私の心は

私の会った人

生き生きてもうすぐ80年
数多の人と出会い語り憎み愛した
長く続いた友情もたちまち途絶えた関りも
みんな積みあがって今日の日が支えられている

彼たち彼女たちは今はどうしているだろう
名は忘れても顔の記憶はありありと蘇る人
ただ影のように私の歩んだ道に佇んでいた人
手ごたえのある褐色の時間を分かち合った人

私の生はそれら他者たちとつながり合い
ともに織り成した幻想の長い帯
時の流れに漂う関係性のコンプレックス

確かにそこに個性的な砂山がそびえていたのだ
風が吹いて雨が降ってまた風が吹き
砂山は歴史の虚空の中に溶け込んでゆく

合歓の里へ

谷戸の入り口から胸躍らせる未来へ
一本の道がゆらゆらと続いている
春の愉快な風が背中を押してくれる
この先にはすてきな夢が待っているんだよ

若葉の輝きは爆発する命を光源に
谷の空間を今年の総合計画で満たしている
草原を埋め尽くす黄色い花の部隊 白い花の部隊は
棲み分けあって戦争なんかするもんか

子どもたちは何て言ったって駆けていく 駆けることが
神様から言いつかった使命だとかしこまって
草原をつらぬく道をウサギのように跳んで行く

La vie est la! ラビエラ!とフランスの詩人のように歌おう
生きることはこうでなくては 生きることは
この緑の実践者に加わることに違いないのだから

田んぼの世界

田んぼに風が吹く 地の神の息吹のように
草も木も揺れる 俺たちは生きているのだと
ざわめきは日々の暮らしの埃を舞い上げ
しょうもない人間たちの愚行に降り注ぐ

田んぼに雨が降る 神々の冷笑のように
清めよ 流れよ 愚かなるものどもよ
生きるものの務めは昨日から今日明日へと
定めなき不安な時に耐えねばならんのだ

田んぼのカエルは歌う 限りなく軽やかに
歌はお前の愛する誰かのためなのか それとも
生きることの喜びを抑えきれないのか

田んぼの子どもたちは走り続ける どこまでも
畔を回って曲がって抜けて いつまでも
明日の世界がぱっくりと口を開けてくるまで

2021年8月4日 薗田 碩哉

to top